「始まり」としての『アンビエント・ファインダビリティ』出版記念カンファレンス(1) [ 2006.04.29 ]
▼「見つかること」と「見つからないこと」
去る4月27日、御茶ノ水のデジハリで開催された『アンビエント・ファインダビリティ』出版記念カンファレンスに集まった皆さんは、時代の先端部を目撃しているかもしれないという手応えに、静かな興奮を共有したに違いありません。
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ボクらの存在を規定するものが、もはや実存とは無関係であり、環境と一体化した情報体系の中でプレゼンスを確保できるか否かに懸かっている、と言ったら言い過ぎになるでしょうか。
友人から急に食事に行こうと誘われたとき、ボクらは「ぐるなび」で見つけた焼肉屋に予約を入れて、人数が足りなければ携帯電話のアドレス帳に入っている友人に電話をかけて呼び出します。
もっと美味しい焼肉屋があるかもしれない、もっと楽しい時間を過ごせる友人がいるかもしれないという可能性は、骨付きカルビにありつけるとワクワクしているボクらの念頭からはすっぽり抜け落ちています。
「見つかること=存在すること」、「見つからないこと=存在しないこと」という新しい存在論が構築されつつある-。
それが時代のエッジで起こっている変化です。
▼「世界」と「ネットワーク」を一致させる「二重の忘却」
『アンビエント・ファインダビリティ』の衝撃は、情報体系の外部世界の蓋然性を否定する、その潔さにあるのかもしれません。
どんなに有益な情報がネットワーク上に存在していたとしても、ユーザが見つけることができなければ、何の意味もありません。 (オライリー社『アンビエント・ファインダビリティ』紹介文より)
本書が外部世界を否定しているというより、すでにボクらの思考がそのようになりつつあるという事実を的確に言い当てている、と言った方が正確でしょうか。
森羅万象が情報化されネットワークにインポートされ続けた結果、いつしかボクらは、インターネットを世界の翻訳であるとみなすようになりました。
ネットワークは世界を網羅的に表象していると認識した瞬間、ボクらのイマジネーションはその外部にまで及ばなくなります。
日常的にネットワーク上で問題解決を済ませてしまっているボクらは、情報体系の外部にも世界が存在することを忘却しようとしつつあります。そして今起こりつつあるのは、その忘却行為そのものすら忘却しつつあるという事態です。
忘れていたものを思い出すことはできますが、忘れていること自体を忘れてしまったものについては思い出すことはできません。
この「二重の忘却」によって、「ネットワーク」と「世界」のイメージは、その外延と内包を限りなく近接させつつあります。
オライリーの田村さんがカンファレンスの冒頭で述べた、「Amazonでも品切れになっていることが多いので、会場で購入しておくことをおすすめします」という担当編集者ならではのジョークは、ある意味で象徴的なシーンだったと言えるでしょう。Amazonは世界の流通そのものであり、Amazonで見つけることのできない本は、世界には存在しないのです。
「ファインダビリティ」は、今日における「存在の条件」を意味する重要なコンセプトとして、日々その重要性を増しつつあります。
・続きます。
トラックバック (0) | ブログコラム | TEXT : 藤原 秀樹






